金網製品の
変化・進化

平成20年(2008年)1月に従来の金網・パンチングメタル(打抜金網)をはじめ最新の技術で加工しました各種メッシュ加工品やフィルター製品、そして自社開発のスーパーパンチングを常設展示するための「奥谷金網ショールーム」を神戸本社1Fに開設致しました。
本ショールームでの常設展示は金網業界でも珍しく、カタログ媒体やWEBでのバーチャル掲載では無く、各種金網製品1500点を直接、ご覧になっていただき、そして手に取ってもらい「奥谷金網の製品一覧」を、現物の風合いや仕様を直接、お客様ご自身に感じ取ってもらえることが出来、JR神戸駅から徒歩3分との好立地でもあることから開設以来、国内外から毎日のようにご来場いただいております。 そしてショールーム開設14年後の令和4年(2022年)5月にショールーム隣接の「奥谷金網歴史博物館/OKUTANI HISTORY MUSEUM」を新たに開設致しました。

明治の初めに創業者/初代の奥谷儀三郎が兵庫県淡路島から丁稚奉公で大阪の金網屋で修業し、当時、日清戦争翌年の活況と横浜と並ぶ貿易港の地位として一大産業都市になろうしている日の出の勢いがあった神戸で創業致しました。
明治から大正、昭和の時代の各金網製品や道具、昭和のはじめに導入した往時の金網織機や50年前のプレス機械をリプレイスして展示しております。
金網の歴史から当社の年表も展示しており奥谷金網製作所の歴史をイメージを具現化した空間を是非、ご体感くださいませ。

過去と現在、そして未来を具現化

1895年に創業した奥谷金網製作所は、2022年に創業127年を迎えました。
奥谷金網では、「ホールソリューションカンパニー」— 金網、パンチングメタルの枠にとどまらない”孔専門の会社”— の歴史の一つの通過点として、
神戸本社の一階をリフォームし、「OKUTANI HISTRY MUSEUM」をオープンいたしました。

ミュージアムでは、創業当時から製作していた手細工の金網加工製品、往年の各種金網織機や当時のプレスマシーンなどを公開しており、奥谷金網が歩んできた歴史を体感することができます。
奥谷金網の発展・進化を最新の金網製品で表現しているショールームと相対比較することで、奥谷金網の創業から現在までのビジョンを垣間見ることができます。

是非、奥谷金網の創業からの過去・現在、そして未来を体験してみてください。

半世紀以上前のマシンを展示

当社では明治創業時には創業者の奥谷儀三郎をはじめ金網細工職人たちが、手細工で主に亀甲金網を織り、杓子や篩(ふるい)、裏漉し網、笊(ざる)などを金網と針金を組み合わせながら各金網製品を製作しておりました。昭和初期から昭和40年代(~1960年代)まではひし形金網やクリンプ織金網をほとんどアナログの半自動の織機(しょっき)で制作し、昭和40年代前後から平織金網を織機にて明石工場で製造し、昭和45年(1970年)前後から打抜金網(パンチングメタル)を製造するため汎用プレスマシーン、昭和55年(1980年)前後からNCターレットマシーン(アマダ製)を導入し、現在も稼働し続ける半世紀以上前のプレス機、そしてさらに進化し続ける各最新のパンチングマシーンを当社は投入して参りました。
そしてこのミュージアムには当社の成長を支えた各時代ごとの主な金網織機、プレスマシーンを往時の製品と同展示しております。どうぞ奥谷金網の変遷と歴史をご体感くださいませ。

大阪地区の金網業の変遷

金網がいつ頃から作られるようになったのかについては、明確に記述された資料が見当たらないので言及することはできませんが、おそらく江戸時代初期前後のかなり古くから神社、仏閣、城などで金、銀、銅などの比較的柔らかい金属を線状に伸して、きっ甲網の飾りものに使用されていたと考えられています。
そして江戸時代に熟練度の高い人力作業によって始まった金網づくりは、以来、代々にわたる後継者達によって技術開発と用途開拓に努力が重ねられ、また、近年においては、生産面での機械化実現に取り組みが展開されるなどの経緯をたどりながら今日の金網加工技術が築き上げられ、質的にも高度な金網の量産時代が迎えられるようになりました。
大阪地区の金網業の変遷を紐解くにあたり、その地場産業として続けられている地区が大阪府下、旧河内国の南から松原、中央部にあたる東大阪、北にあたる四条畷に分布をみます。この三地区が金網業の地場産業として根付くにあたって、河内木綿の歴史をぬきにして考えることはできません。河内木綿の名は遠く江戸時代より著名で綿作技術の導入がもたらした意義は、当地にとって極めて重要でありました。
しかし、1858年(安政五年)米・英を初め諸外国との仮条約が結ばれるとともに、次第に安値で良質の外国綿の輸入が行われ、地元の綿では近代的な機械工業に適さなくなり、需要は減退してしまいます。加えて明治26年には「外綿輸入関税廃止法案」が国会を通過し、 綿作の作付面積は年々減反を余儀なくされました。その結果、三百年余りにわたって河内地方の経済を支える上で重要な役割を果たしてきた河内木綿は衰退の一途を辿ることとなりました。即ち、近代産業育成のために農民の犠牲が要求され、そのことから河内木綿の技術が金網に受け継がれたのでした( 松原市『郷土史 研究会」)。

300年企業への挑戦

「1895 TO 2195」創業年度から300年続く企業へ・こちらを当社のひとつのテーマとして掲げております。
現在、創業から130年前後を迎え幾多の外部環境の荒波にのまれてきましたが今日まで全社員一丸で乗り切ってまいりました。
そして危機を機会と捉えピンチをチャンスにと実践し、創業から続く金網を祖業とし現在まで様々な金網を時代に合わせ製造し世の中へ提供して参りました。
ミュージアムに隣接しているショールームでは現在の金網、パンチングメタル、スクリーン(選別)製品、そして未来のフィルター(濾過)加工製品までを常時1500点以上のサンプルを展示しております。
またミュージアムでも明治創業当初の金網製品から昭和初期の織機、昭和の終わりに導入したプレス機械と時代の変換に応じ設備導入してきた各種機械を展示しております。メッシュの網目、パンチングの孔を活用する環境維持製品として液体、気体、個体の様々な形状、大きさ(最小はミクロン単位)を選別、濾過する製品をこれからも提案・提供出来るように未来を見据え業態も変化・進化させながら「Passion(情熱).Inspiration(ひらめき)and Spirit(精神)をベースに200年、300年続く「Hole Solutions Company」を目指して邁進して参ります。